【2026年最新】式守勘太夫の本名・年齢・出身地・所属部屋は?
式守勘太夫の基本プロフィールを日本相撲協会の公式プロフィールから整理すると、次のようになります。
| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 行司名 | 式守勘太夫 |
| 読み方 | しきもり・かんだゆう |
| 本名 | 菊池浩(きくち・ひろし) |
| 生年月日 | 1968年11月15日 |
| 年齢 | 57歳(2026年10月29日時点) |
| 出身地 | 宮城県伊具郡丸森町 |
| 所属部屋 | 朝日山部屋 |
| 現在の階級 | 三役行司 |
| 採用年月 | 1984年4月 |
| 襲名 | 2019年5月、12代式守勘太夫 |
本名は菊池浩、2026年11月に58歳

式守勘太夫の本名は菊池浩です。
1968年11月15日生まれなので、2026年10月29日時点では57歳。誕生日を迎える2026年11月15日に58歳になります。
年齢については、過去の新聞記事に掲載された取材時点の年齢と、現在の年齢を混同しないことが大切です。
出身地と所属部屋

日本相撲協会の公式プロフィールでは、出身地は宮城県伊具郡丸森町と記載されています。
現在の所属は朝日山部屋です。
一方、入門当時は伊勢ヶ濱部屋に所属していました。本人の2019年のインタビューによると、当時の師匠は元大関・清國で、その四股名から「国」の字をもらい、本名の「浩」と合わせて最初の行司名を式守国浩としたそうです。
つまり、現在の所属部屋と入門当時の所属部屋は異なります。
【経歴を徹底解剖】式守国浩から式守勘太夫までの行司名履歴

式守勘太夫の経歴で特徴的なのが、これまでに複数の行司名を名乗ってきたことです。
日本相撲協会の公式プロフィールには、次の5つの名前が記録されています。
式守国浩 → 式守錦之助 → 式守与太夫 → 式守与之吉 → 式守勘太夫
これらは単なる芸名の変更ではありません。行司の世界では、名前そのものが伝統や先輩から受け継ぐ名跡としての意味を持っています。
それぞれの名前に込められた意味
1.式守国浩(しきもり・くにひろ)
1984年に行司として初土俵を踏んだ際の名前です。
伊勢ヶ濱部屋に入門し、当時の師匠だった元大関・清國の「国」と、自身の本名である菊池浩の「浩」を組み合わせて名乗りました。
2.式守錦之助(しきもり・きんのすけ)
2001年1月、十枚目格への昇進を機に8代式守錦之助を襲名しました。
入門時の名前から、行司の名跡を継ぐ段階に進んだ転換点です。
3.式守与太夫(しきもり・よだゆう)
2009年1月、幕内格への昇進に伴って12代式守与太夫を襲名しました。
十両以上の取組を担当する行司として、さらに経験を積んでいきます。
4.式守与之吉(しきもり・よのきち)
2016年1月、10代式守与之吉を襲名しました。
この改名には、将来の式守勘太夫襲名につながる意味がありました。
5.式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)
2019年5月、令和最初の本場所となった夏場所から12代式守勘太夫を襲名しました。
長年の目標としてきた名跡を継承し、現在の名前に至っています。
【保存版・経歴年表】1984年の採用から2024年の三役格昇進まで
式守勘太夫のキャリアを理解するうえで重要なのが、行司名の変更と階級の昇進がどのように結びついているかです。
以下に主要な出来事を時系列でまとめました。
| 年月 | 出来事・行司名 | 経歴上の意味 |
|---|---|---|
| 1984年4月 | 日本相撲協会に採用 | 行司人生のスタート |
| 1984年夏場所 | 式守国浩として初土俵 | 行司として本場所に登場 |
| 2001年1月 | 式守錦之助を襲名 | 十枚目格に昇進 |
| 2009年1月 | 式守与太夫を襲名 | 幕内格に昇進 |
| 2016年1月 | 式守与之吉を襲名 | 次の名跡継承に向けた改名 |
| 2019年5月 | 12代式守勘太夫を襲名 | 現在の行司名に |
| 2024年12月23日 | 三役格に昇進 | 幕内格から三役格へ |
2019年の襲名は大きな節目
式守勘太夫という名跡は、江戸時代から続く伝統的な行司名です。
2019年の襲名を紹介したインタビュー記事によると、式守勘太夫の名跡は文政6年(1823年)から続いており、菊池浩さんが12代目を継承しました。
特に興味深いのは、式守与之吉から式守勘太夫へ進む流れです。
本人もインタビューで、過去の勘太夫の多くが与之吉を前名としていたことに触れています。将来の襲名を意識して与之吉を名乗ったという経緯は、行司の名前が長期的なキャリア形成と深く結びついていることを示しています。
2024年12月23日に三役格へ昇進
もう一つの大きな転機が、2024年12月23日付の昇進です。
日本相撲協会が発表した行司の昇進により、式守勘太夫は幕内格から三役格へ昇進しました。
2025年1月場所から新しい階級で土俵に上がることになり、行司としてのキャリアにおける重要な節目となりました。
日刊スポーツの2025年3月の取材記事でも、この昇進が取り上げられています。
【日本相撲協会の階級】三役行司とはどれほどの地位なのか?
式守勘太夫について調べる際、よく検索されるのが「三役行司」という階級です。
行司は力士とは異なる独自の階級制度を持っています。力士のように勝敗によって番付が上下する仕組みとは違い、行司は経験や技量、勤務実績などを踏まえた昇進によって階級が変わります。
行司の階級一覧
大相撲の行司には、上位から次のような階級があります。
1. 立行司
2. 三役行司
3. 幕内行司
4. 十枚目行司
5. 幕下行司
6. 三段目行司
7. 序二段行司
8. 序ノ口行司
このうち、立行司の最高位に位置するのが木村庄之助です。もう一つの立行司名跡が式守伊之助です。
式守勘太夫は、その立行司の一つ下に位置する三役行司です。
三役行司になると装束も変わる
階級の違いは、土俵上の装束にも表れます。
日本相撲協会の公式クイズでは、各階級の装束について次のように紹介されています。
- 木村庄之助:軍配の房などは総紫
- 式守伊之助:紫白
- 三役行司:朱色
- 幕内行司:紅白
- 十枚目行司:青白
- 幕下以下:青または黒
三役行司になると、朱色の房や菊綴が認められ、腰には印籠を携え、上草履を履くことができます。
日刊スポーツの2025年の記事でも、昇進前後の式守勘太夫の装束の違いが紹介されました。
幕内格から三役格への昇進は、単に肩書が変わるだけではありません。土俵上で身にまとう装束にも、その地位の違いが明確に表れるのです。
「三役行司」は三役力士だけを裁くという意味ではない
ここは誤解しやすいポイントです。
三役行司という名称は、行司自身の階級を表すものです。
小結・関脇・大関といった三役力士だけを担当する専門職という意味ではありません。
したがって、式守勘太夫を紹介するときは、担当する力士の地位ではなく、行司としての格付けを示す名称として理解するのが正確です。
【大相撲の行司の役割】式守勘太夫は土俵で何をしている?
行司は、単に軍配を持って勝者を指し示すだけの存在ではありません。
日本相撲協会が紹介する行司の仕事の中心は、取組の進行と勝負の判定です。
軍配を使って勝敗を判断する
取組が始まると、行司は土俵上で両力士の動きを見ながら勝負を裁きます。
勝負が決まった瞬間には軍配を上げ、勝った力士を示します。
ここで興味深いのが、2025年8月に掲載された日本相撲協会の公式クイズで説明された行司の視点です。
行司は、どちらが勝つかを探すというよりも、どちらが先に負けるのかを見極めることを基本としています。
力士の体勢、土俵際での動き、足の出方などを瞬時に判断する必要があるため、行司には高い集中力と判断力が求められます。
軍配を上げても最終判断が変わることがある
大相撲には「物言い」という制度があります。
行司が軍配を上げた後、勝負審判が判定に疑問を持った場合、土俵上で協議が行われます。
その際には映像も参考にされ、最終的な結果が決定されます。
判定には主に次のような結果があります。
- 軍配通り:行司の判定が認められる
- 軍配差し違い:行司の判定が変更される
- 取り直し:勝負をやり直す
日本相撲協会の公式解説によると、物言いの際は審判委員が協議し、審判長が結果を発表します。
つまり、行司は勝負を裁く重要な役割を担いますが、物言いがついた場合の最終判断は審判委員会による協議に委ねられます。
行司の仕事は伝統文化を守ることにもつながる
行司の装束、軍配、掛け声、土俵上の所作には、長い歴史のなかで受け継がれてきた伝統があります。
式守勘太夫のような上位の行司は、勝負の判定だけでなく、そうした伝統を土俵上で体現する存在でもあります。
力士が主役として注目される一方で、取組を成立させる行司の仕事も大相撲を支える重要な要素です。
【式守勘太夫の独自の魅力】1823年から続く名跡と譲り団扇
式守勘太夫の経歴を掘り下げると、もう一つ注目すべきものがあります。それが、代々受け継がれてきた軍配です。
2019年5月の襲名インタビューでは、勘太夫の名跡に伝わる「譲り団扇(ゆずりうちわ)」についても紹介されました。
2代目式守勘太夫から伝わる軍配
本人の説明によると、式守勘太夫には、代々受け継がれてきた特別な軍配があります。
この軍配は2代目式守勘太夫が使用したもので、インタビュー当時、約153年前の品と伝えられていました。
普段は相撲博物館で保管されており、2019年の襲名場所では初日に限って使用し、その後、博物館に返却する予定と説明されていました。
軍配の表には「一心一声」、裏には「神の如く」という文字が記されていることも、同インタビューで明かされています。
このエピソードから見えてくるのは、行司名の襲名が単なる改名ではないということです。
先代から受け継いだ名前、軍配、所作、そして伝統を次の世代へつなぐ役割があります。
式守勘太夫が12代目として名跡を継いだことには、こうした歴史的な意味も含まれています。
【よくある疑問を解決】式守勘太夫に関するよくある質問(FAQ)
Q1:式守勘太夫の本名は何ですか?
A1:本名は菊池浩(きくち・ひろし)です。日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されています。
Q2:式守勘太夫は2026年現在何歳ですか?
A2:1968年11月15日生まれで、2026年10月29日時点では57歳です。2026年11月15日に58歳になります。
Q3:式守勘太夫の読み方は?
A3:「しきもり・かんだゆう」です。「勘太夫」は「かんだゆう」と読みます。
Q4:式守勘太夫の所属部屋はどこですか?
A4:2026年現在、日本相撲協会の公式プロフィールでは朝日山部屋所属とされています。入門当時は伊勢ヶ濱部屋でした。
Q5:式守勘太夫は現在どの階級ですか?
A5:三役行司です。2024年12月23日付で幕内格から三役格に昇進しました。
Q6:式守勘太夫は以前、どんな名前を名乗っていましたか?
A6:式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉の順に名乗り、2019年5月に12代式守勘太夫を襲名しました。
Q7:式守勘太夫は引退していますか?
A7:日本相撲協会の現行行司一覧には、三役行司として掲載されています。公式プロフィール上では現役の協会員です。
まとめ:式守勘太夫は伝統を受け継ぐ2026年現在の三役行司
式守勘太夫は、本名・菊池浩、1968年11月15日生まれの大相撲行司です。1984年4月に日本相撲協会に採用され、式守国浩から式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉を経て、2019年5月に12代式守勘太夫を襲名しました。
そして2024年12月23日には三役格へ昇進。2026年現在、日本相撲協会の公式プロフィールでも朝日山部屋所属の三役行司として紹介されています。
式守勘太夫を理解するうえで押さえておきたいのは、次の3点です。
- 人物情報を知りたい場合: 本名・生年月日・所属部屋は日本相撲協会の公式プロフィールを確認する。
- 経歴を知りたい場合: 1984年の採用から2019年の襲名、2024年の昇進までの流れを押さえる。
- 行司としての価値を知りたい場合: 三役行司という階級だけでなく、名跡や軍配に受け継がれる伝統にも注目する。
大相撲は力士の勝敗だけで成り立っているわけではありません。長い年月をかけて技術を磨き、伝統を守りながら土俵を支える行司の存在も欠かせません。12代目として式守勘太夫の名跡を受け継ぐ菊池浩さんの今後の活躍にも注目したいところです。