【人物像】栃乃若導大の本名・出身・プロフィールを整理

目次

栃乃若導大は、1988年4月6日生まれ。兵庫県尼崎市出身で、現役時代は春日野部屋に所属していました。

日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている基本情報は次のとおりです。

項目 内容
四股名 栃乃若 導大
読み方 とちのわか みちひろ
本名 李 大源
生年月日 1988年4月6日
出身地 兵庫県尼崎市
所属部屋 春日野部屋
身長 195cm
体重 177kg
得意技 左四つ・寄り
最高位 前頭筆頭
初土俵 2007年1月場所
新十両 2010年9月場所
新入幕 2011年5月技量審査場所
引退場所 2015年1月場所

栃乃若という四股名と「導大」の読み方

栃乃若

四股名の栃乃若導大は「とちのわか・みちひろ」と読みます。

「導大」をそのまま音読みしてしまうと読み違えやすい名前ですが、日本相撲協会の公式プロフィールでは、読み方が明確に示されています。

本名の李大源(イ・デウォン)と四股名の栃乃若導大は、同一人物を指しています。

また、195cmという長身と177kgの体格は、現役時代の大きな特徴でした。単に体重があるだけではなく、左四つから相手を組み止め、前に出る相撲を得意としていた点が持ち味です。

【経歴・年表】報徳学園の高校横綱から前頭筆頭へ

栃乃若

栃乃若の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、報徳学園高校時代の実績です。

報徳学園高校で高校横綱に輝く

栃乃若

栃乃若は小学校2年生から相撲を始め、中学・高校でも相撲に取り組みました。

兵庫県の報徳学園高校では、3年生のときに全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の相撲競技で優勝。高校横綱の称号を手にしました。

2017年の本人インタビューでも、高校時代にインターハイを制したことを振り返っています。

当時から体格に恵まれ、アマチュア相撲で実績を残していたことが、角界入りへの大きな後押しになりました。

春日野部屋への入門から幕内昇進まで

2007年1月場所、18歳で初土俵を踏みました。

入門当初の四股名は本名と同じ「李」。その後「栃乃若」に改名し、春日野部屋で力士としてのキャリアを積み重ねます。

2010年9月場所には新十両、2011年5月の技量審査場所には新入幕を果たしました。

初土俵から約4年で幕内に到達したことは、当時の成長の速さを示しています。

さらに番付を上げ、ついには前頭筆頭まで昇進しました。高校横綱というアマチュア時代の実績を、プロの土俵でも形にした力士だったのです。

栃乃若と関係者・所属先の関係一覧

関係する人物・組織 栃乃若との関係 確認できる事実
報徳学園高校 出身校 インターハイ優勝、高校横綱
春日野部屋 所属部屋 2007年に入門
春日野親方(元栃乃和歌) 師匠 引退時の相談相手
日馬富士 対戦相手 2011年九州場所で勝利
日本相撲協会 記録管理団体 最高位・通算成績・引退場所を掲載
白寿生科学研究所 引退後の勤務先 2017年のインタビューで本人が勤務を説明

【通算成績】前頭筆頭まで上り詰めた栃乃若の実力

栃乃若の現役時代を評価する際、注目したいのが通算成績です。

日本相撲協会の公式記録によると、主な数字は以下のとおりです。


生涯戦歴・47場所
267勝244敗11休



幕内戦歴
106勝156敗8休


最高位
前頭筆頭


幕内在位
18場所


金星
0個

幕内優勝・三賞の受賞はいずれも0回。

通算267勝244敗11休をどう評価するか

47場所で267勝を挙げたという数字は、力士として一定の実績を残したことを示しています。

一方、幕内成績は106勝156敗8休。勝ち越しを続けて上位に定着することは難しく、幕内での戦いは決して平坦ではありませんでした。

特に、最高位が前頭筆頭であることと、幕内優勝や三賞の記録がないことは分けて考える必要があります。

前頭筆頭は横綱・大関などの上位力士と対戦する機会も増える位置です。そこまで昇進した実績は評価できますが、三役や大関への昇進を実現した力士ではありません。

得意技は左四つと寄り

栃乃若の基本的な相撲スタイルは、左四つからの寄りでした。

日本相撲協会も得意技として「左四つ・寄り」を掲載しています。

公式プロフィールの決まり手傾向では、寄り切りが56%、押し出しが12%、上手投げが9%となっています。ただし、この割合は過去6場所の取組結果を基にしたデータであり、生涯全体の決まり手構成ではありません。

恵まれた体格を生かして相手に圧力をかけ、組んで前に出る。こうした特徴が栃乃若の相撲を理解するポイントです。

【日馬富士との対戦】本人が最高の思い出に挙げた一番

栃乃若の現役時代を象徴するエピソードとして知られるのが、日馬富士との対戦です。

2014年12月16日の引退会見を報じたデイリースポーツによると、栃乃若は2011年九州場所で当時大関だった日馬富士に勝った一番を、現役時代の最高の思い出として挙げました。

このエピソードは、単に上位力士に勝ったというだけではありません。

高校横綱として期待され、前頭筆頭まで昇進した栃乃若にとって、強豪との対戦で結果を残した経験が大きな記憶になっていたことがうかがえます。

日馬富士との一番が持つ意味

日馬富士は後に横綱まで昇進した力士です。

その相手に勝利した一番を本人が最高の思い出に選んだことは、栃乃若のキャリアを振り返るうえで重要なポイントです。

ただし、この一勝だけで両者の通算対戦成績を判断することはできません。

栃乃若の強みは、こうした上位力士との取組でも自分の相撲を出せる可能性を持っていたことでした。

【引退理由】2014年12月、26歳で現役生活に幕を下ろした真相

栃乃若が引退したのは、2014年12月15日です。

当時26歳。力士としては若く、最高位も前頭筆頭だったことから、突然の引退は相撲界やファンに驚きを与えました。

引退直前の2014年九州場所で3勝12敗

引退前最後の本場所となった2014年11月の九州場所で、栃乃若は東前頭15枚目として出場しました。

成績は3勝12敗。

大きく負け越し、翌2015年1月場所では十両への降格が確実な状況でした。

さらに、冬巡業を終えた後に師匠へ引退の意思を伝え、12月15日に日本相撲協会へ引退届を提出しました。

2014年12月16日の引退会見で語ったこと

翌16日、東京都内の春日野部屋で引退会見が行われました。

デイリースポーツの報道によると、本人が説明したのは、身体の故障ではなく、相撲内容への不満と気力の維持が難しくなったことでした。

会見では、自身の状態を振り返り、短い言葉で「ふがいなさが限界」と表現しています。

また、引退を考え始めたのは会見の直前ではなく、約2年前からだったと明かしました。突然の決断に見えても、本人の中では長く続いていた葛藤だったのです。

引退理由はケガではなく精神面の問題だったのか

ここは2017年の本人インタビューも合わせて読む必要があります。

ATHLETE LIVEが2017年8月22日に掲載したインタビューで、李大源氏は引退について、年齢や身体の限界、ケガが理由ではなかったと説明しています。

さらに、相撲だけの人生に限定せず、別の世界にも挑戦したいという気持ちが以前からあったことを語りました。

つまり、引退の背景には次の2つの側面がありました。

- 現役時代の葛藤: 思うような相撲が取れず、応援する人々の期待に応えられないという苦しさ。
- 将来への意思: 相撲以外の世界にも挑戦し、自分の可能性を広げたいという考え。

2014年の会見だけを見ると、気力の衰えによる引退という印象が強く残ります。しかし、2017年の本人の振り返りを加えると、競技生活への葛藤と、新しい人生への前向きな選択が重なっていたことが分かります。

引退場所は2015年1月場所なのに、引退発表は2014年12月?

ここは検索する読者が混乱しやすい部分です。

日本相撲協会の公式プロフィールには、引退場所が2015年1月場所と記録されています。

一方、実際に引退届を提出したのは2014年12月15日で、会見は翌16日でした。

つまり、引退を決めて発表した時期と、公式プロフィールに記載される引退場所は異なります。

2015年1月場所が引退場所として掲載されているからといって、同場所で通常どおり現役力士として取組を続けたという意味ではありません。

【2026年現在】栃乃若は何をしている?引退後の仕事と近況

栃乃若の現在を調べる際に重要なのは、引退後の本人の発言が掲載された2017年のインタビューです。

このインタビューでは、現役引退後の仕事について具体的に語っています。

引退後は白寿生科学研究所に入社

2017年のATHLETE LIVEのインタビューによると、李大源氏は引退後、白寿生科学研究所に入社しました。

当時は、東京都内のハクジュプラザ東中野店で店長を務めていたと紹介されています。

仕事内容は、健康関連機器の説明や、来店客への健康に関するアドバイスなどでした。

本人は、もともと健康分野に関心があり、現役時代から引退後の仕事について考えていたと説明しています。

なぜ相撲界に残らず一般社会に進んだのか

2017年のインタビューでは、本人が相撲以外の経験にも関心を持っていたことが明らかになっています。

長年、相撲に取り組んできたからこそ、別の分野で自分の可能性を試したいという考えがあったようです。

また、一般企業で働くことへの不安も率直に語っていました。

特に印象的なのは、相撲しか経験していないことを理由に新しい世界への挑戦を諦めるのではなく、まず行動することの大切さを仕事を通して感じているという内容です。

現役時代の栃乃若を知る人にとっては、土俵を離れた後も新しい環境に適応しようとしていた姿が興味深いところでしょう。

2026年現在も同じ仕事を続けている?

ここは慎重に整理する必要があります。

確認できる具体的な勤務情報は、2017年8月のインタビューに掲載されたものです。

その後、2026年10月現在までの勤務先や役職の変更、独立、転職などについて、本人の発言や信頼できる報道で裏付けられる新しい情報は確認できません。

したがって、現在もハクジュプラザ東中野店の店長を務めていると断定することはできません。

確認項目 公開情報で分かること
引退後の勤務先 白寿生科学研究所
2017年当時の役職 ハクジュプラザ東中野店長
当時の仕事内容 健康関連機器の説明、健康アドバイス
2026年の勤務先 最新の確かな公表情報なし
現在の役職 確認できる情報なし
相撲界への復帰 確認できる公表情報なし

栃乃若の現在については、2017年当時の職業までは本人のインタビューで確認できますが、2026年の生活や職業を同じ情報で説明することはできません。

【よくある質問】栃乃若に関するFAQ

Q1:栃乃若の本名は何ですか?

栃乃若の本名は李大源(イ・デウォン)です。四股名は栃乃若導大で、日本相撲協会の公式プロフィールでは「とちのわか・みちひろ」と読みます。

Q2:栃乃若の最高位は何ですか?

最高位は前頭筆頭です。春日野部屋に所属し、2011年5月場所に新入幕を果たした後、幕内上位まで昇進しました。

Q3:栃乃若の通算成績は?

日本相撲協会の公式記録では、267勝244敗11休(47場所)です。幕内成績は106勝156敗8休(18場所)です。

Q4:栃乃若の引退理由はケガですか?

ケガが直接の理由ではありません。2014年の引退会見では、思うような相撲が取れず、気力を保つことが難しくなったと説明しています。2017年の本人インタビューでは、相撲以外の世界にも挑戦したかったという思いも語っています。

Q5:栃乃若は日馬富士に勝ったことがありますか?

あります。2011年九州場所で当時大関だった日馬富士に勝利しました。栃乃若本人も、この一番を現役時代の最高の思い出として挙げています。

Q6:栃乃若は2026年現在、何をしていますか?

2017年のインタビューでは、白寿生科学研究所に勤務し、ハクジュプラザ東中野店の店長を務めていました。2026年現在の勤務先や役職については、新しい確かな公表情報が確認できません。

Q7:栃乃若は2014年に引退したのですか、それとも2015年ですか?

引退届を提出したのは2014年12月15日です。日本相撲協会の公式プロフィールでは、引退場所は2015年1月場所と記載されています。発表時期と公式記録上の引退場所を区別すると理解しやすくなります。

まとめ:栃乃若は前頭筆頭まで昇進した実力派力士だった

栃乃若導大は、報徳学園高校で高校横綱に輝き、2007年に春日野部屋へ入門した元大相撲力士です。

恵まれた体格と左四つからの寄りを武器に、2011年5月場所で新入幕を果たし、最高位は前頭筆頭。通算267勝244敗11休という成績を残しました。

26歳での引退は早すぎる決断にも見えますが、2014年の引退会見と2017年の本人インタビューを照らし合わせると、現役生活への葛藤だけでなく、新しい人生に挑戦したいという意思も背景にあったことが分かります。

特に重要なのは、次の3点です。

- 力士としての実績: 高校横綱から前頭筆頭まで昇進し、幕内18場所を経験。
- 引退の背景: ケガによる引退ではなく、相撲への葛藤と新しい人生への挑戦。
- 引退後の歩み: 2017年には健康関連企業で働いていたことを本人が明かしている。2026年の詳しい近況は未公表。

栃乃若は横綱や大関には届かなかったものの、アマチュア相撲で頂点を経験し、プロの世界でも幕内上位まで駆け上がった力士でした。

その経歴を振り返ると、相撲界での成功だけでなく、26歳で自分の進路を選び直した決断も、栃乃若という人物を理解するうえで欠かせない要素です。