名古屋アベック殺人事件の真相とは?6人の犯行経緯と死刑判決が無期に変わった理由【2026年版】

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名古屋アベック殺人事件の真相とは?6人の犯行経緯と死刑判決が無期に変わった理由【2026年版】

1988年2月23日、名古屋市緑区の大高緑地公園で、交際中だった若い男女が6人のグループに襲撃された。被害者は理容師の野村昭善さん(当時19歳)と、理容師見習いの末松須弥代さん(当時20歳)。2人は金品を奪われ、女性は性的暴行を受けたうえ、約2日間にわたって連れ回され、相次いで殺害された。この事件は、一般に「名古屋アベック殺人事件」と呼ばれている。

事件をめぐっては、1989年6月28日の名古屋地裁判決で、犯行時19歳だった主犯格の被告人に死刑が言い渡された。しかし、1996年12月16日の名古屋高裁判決では、この死刑判決が破棄され、無期懲役へと変更された。なぜ、一審と控訴審でこれほど異なる判断が示されたのか。背景には、少年犯罪における集団心理、殺人に至るまでの経緯、個々の被告人の関与、そして更生可能性をめぐる司法判断があった。

この記事の重要ポイントまとめ

名古屋アベック殺人事件

- 事件の発生: 1988年2月23日、大高緑地公園で野村昭善さんと末松須弥代さんが襲撃された。
- 被告人6人の判決: 1989年の名古屋地裁では主犯格に死刑、ほかの5人には無期懲役や有期懲役などが言い渡された。
- 死刑判決の変更: 1996年12月16日、名古屋高裁は主犯格の死刑を破棄して無期懲役とし、別の被告人の懲役17年も13年に変更した。

【事件の全体像】名古屋アベック殺人事件とは何だったのか

名古屋アベック殺人事件

名古屋アベック殺人事件は、若い男女2人が殺害された強盗殺人事件である。

ただし、事件の実態は大高緑地公園での襲撃だけにとどまらない。

犯行グループは、名古屋市内で若者が集まっていた場所を拠点とし、深夜に車内で過ごしている男女を狙って金品を奪う行為を繰り返していた。大高緑地公園での襲撃以前にも、名古屋港の金城ふ頭付近で別の男女を襲っている。

名古屋高裁の1996年判決文によると、被告人は男女6人で、犯行当時の年齢は17歳から20歳。男性4人、女性2人という構成だった。

被害者との間に特別な面識や個人的なトラブルがあったわけではない。遊ぶ金や刺激を求めていたグループが、偶然見つけた車内の男女を標的にしたことが事件の出発点だった。

被害者・野村昭善さんと末松須弥代さん

名古屋アベック殺人事件

野村昭善さんは19歳の理容師だった。中学校卒業後に理容学校で学び、理容師免許を取得。将来は父親が営む理容業を継ぐことを考えていた。

末松須弥代さんは20歳。働きながら定時制高校を卒業し、野村さんと同じ理容店で見習いとして働いていた。理容学校の通信教育も受け、理容師免許試験に向けて準備を進めていた。

2人の交際は双方の家族にも知られており、仕事と将来の生活を築こうとしていた若いカップルだった。

名古屋高裁の判決は、2人がそれぞれ将来への希望を持っていたことにも言及している。

事件の被害を理解するうえで忘れてはならないのは、奪われたものが2人の命だけではないということだ。これから築かれるはずだった仕事、生活、家族との時間も失われたのである。

【1988年2月23日〜25日】事件の経緯と犯行の全貌

事件の始まりは、大高緑地公園ではなかった。

6人は1988年2月23日午前0時過ぎ、名古屋市中区栄のテレビ塔付近に集まった。そこで、停車中の車内で過ごす男女を襲って金品を奪う計画を立てた。

名古屋高裁の判決文に記された犯行経過を整理すると、次のようになる。

時期 出来事 事件上の意味
1988年2月23日午前0時過ぎ 栄のテレビ塔付近に6人が集合 金品強奪を計画
同日午前2時30分ごろ 金城ふ頭で最初の男女を襲撃 被害者が逃げて強盗未遂
同日午前3時30分ごろ 金城ふ頭で別の男女を襲撃 現金などを奪い、負傷させる
同日午前4時30分ごろ 大高緑地公園で野村さんと末松さんを襲撃 強盗致傷、性的暴行など
2月24日午前4時30分ごろ 長久手町の墓地で野村さんを殺害 犯行発覚を免れる目的
2月25日午前3時ごろ 三重県大山田村の山林で末松さんを殺害 2人の遺体を埋めて遺棄
2月27〜28日 6人の身柄を確保 事件の捜査が進展
1989年6月28日 名古屋地裁が一審判決 主犯格に死刑
1996年12月16日 名古屋高裁が控訴審判決 死刑を無期懲役に変更

金城ふ頭での連続強盗

最初の襲撃は2月23日午前2時30分ごろ。金城ふ頭に停車していた車の男女が標的になった。

しかし、被害者が車を発進させて逃げ、警察の派出所に助けを求めたため、強盗は未遂に終わった。

6人は犯行をやめず、午前3時30分ごろには再び金城ふ頭で別の男女を襲撃した。このときは男性から現金8万6000円を奪うなどし、男女双方にけがを負わせている。

この段階ですでに、木刀や鉄パイプなどの凶器を使った計画的な強盗が繰り返されていた。

大高緑地公園で野村さんと末松さんを襲撃

午前4時30分ごろ、6人は大高緑地公園の駐車場に停車していた野村さんと末松さんの車を発見した。

2台の車で逃げ道をふさぎ、木刀や鉄パイプなどを使って2人に暴行を加えた。金品を奪い、末松さんには性的暴行も加えた。

さらに、末松さんにはたばこの火を押し付けたり、シンナーをかけたりするなどの暴行が加えられた。

その後、6人は2人を解放せず、車に乗せて連れ回した。

ここで事件は、当初の金品目的の強盗から、被害者の生命を奪う重大な犯罪へとエスカレートしていく。

2月24日と25日、相次いだ殺害

2月24日午前4時30分ごろ、野村さんは愛知県長久手町の墓地で殺害された。

翌25日午前3時ごろには、末松さんも三重県阿山郡大山田村の山林で殺害された。

その後、2人の遺体は山林内に掘られた穴に埋められた。

名古屋高裁の判決では、被害者を連れ回していた時間は約45時間に及んだと評価されている。

この約45時間の経過は、控訴審で殺人の計画性や被告人の責任を判断する際にも重要な意味を持った。

【事件の被告人6人】逮捕から判決までに何があったのか

愛知県警は2月27日に関係者5人を逮捕し、翌28日までに6人全員の身柄を確保した。

捜査では、金城ふ頭での強盗事件、大高緑地公園での襲撃、被害者2人の殺害と遺体遺棄が一連の犯行として明らかになっていった。

重要なのは、6人全員が同じ行為をしたわけではないという点だ。

名古屋高裁の判決文では、強盗、性的暴行、殺人、死体遺棄について、それぞれ誰が共謀に参加し、どのような実行行為を担ったかが個別に検討されている。

被告人6人の刑罰の違い

1989年6月28日の名古屋地裁判決における刑罰の内訳は次のとおり。

被告人の区分 一審判決
犯行時19歳6か月の主犯格 死刑
犯行時17歳の殺害実行者 無期懲役
ほかの被告人1人 懲役17年
ほかの被告人1人 懲役13年
ほかの被告人2人 懲役5年以上10年以下の不定期刑

このように、6人全員が有罪となったものの、刑罰には大きな違いがあった。

特に注目すべきなのは、犯行時17歳だった被告人に対する無期懲役である。

当時の少年法51条では、犯罪時に18歳未満だった者について、死刑に相当する場合でも死刑を科さず、無期懲役に変更する規定があった。

つまり、17歳の被告人に対する無期懲役は、単純に19歳の主犯格より責任が軽いと判断された結果ではない。法律上の年齢制限が関係していた。

一方、犯行時19歳6か月だった主犯格は、当時の少年法の適用対象ではあったものの、18歳未満ではなかったため、死刑判決を受ける可能性があった。

【1989年6月28日】名古屋地裁が主犯格に死刑を言い渡した理由

1989年6月28日、名古屋地裁は事件の一審判決を言い渡した。

裁判所は6人全員を有罪と認定し、犯行時19歳だった主犯格に死刑を宣告した。

一審で重視されたのは、犯行の動機、残虐性、被害結果、被告人の役割だった。

一審が認定した主犯格の責任

主犯格の被告人は、最初に強盗を提案し、襲撃する相手を選ぶなど、一連の犯行を主導したと認定された。

また、野村さんと末松さんの殺害についても、方法を提案し、実行行為に積極的に関与したと判断された。

犯行後の証拠隠滅工作なども、刑事責任を重くする事情として扱われた。

名古屋地裁は、遊ぶ金を得る目的で犯行を始め、発覚を免れるために2人を殺害したという動機に酌量の余地は乏しいと判断した。

少年の集団犯罪であることも検討された

一審判決は、被告人らが精神的に未成熟な少年を中心とする集団であり、互いに影響し合いながら犯行に及んだことも考慮していた。

しかし、裁判所はその事情を踏まえても、殺害の残虐性や結果の重大性、主犯格の役割などを重視した。

被害者2人を長時間連れ回し、命を助けてほしいと訴える状況でも殺害を実行したことなどから、主犯格には死刑が相当と判断したのである。

一審判決の特徴は、少年の未成熟さを認めながらも、それだけで重大な犯罪の責任を軽減することはできないとした点にある。

【1996年12月16日】死刑から無期懲役へ変更された本当の理由

事件の刑事裁判で最大の転換点となったのが、1996年12月16日の名古屋高裁判決だ。

名古屋高裁刑事第2部は、一審で死刑を言い渡されていた主犯格の判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。

さらに、別の被告人についても懲役17年を破棄し、懲役13年に変更した。

この判断は、単に「少年だったから死刑を避けた」というものではない。

理由1:殺人が当初から周到に計画されていたわけではない

高裁は、金品を奪うための襲撃については計画的な犯行と認めている。

しかし、殺人については異なる評価を示した。

最初から2人を殺害する目的で襲撃したのではなく、強盗や性的暴行の発覚を恐れ、被害者を連れ回す過程で殺害へとエスカレートしたという経緯を重視したのである。

判決では、約45時間に及ぶ拘束の中で、若い被告人たちが自ら引き起こした状況を適切に解決できないまま、集団内で同調し、犯罪を拡大させていったという事情が検討された。

これは殺人を正当化する判断ではない。殺人に至った経過を、死刑を選択する際の量刑事情として評価したものだ。

理由2:19歳だった主犯格に矯正可能性が残っていた

高裁が特に重視したのが、主犯格の更生可能性だった。

判決文では、主犯格について、過去に窃盗関係の非行や保護観察処分などはあったものの、粗暴犯の前科前歴はなく、鑑別結果にも凶悪犯罪への危険性を示す著しい性格の偏りは指摘されていなかったことが取り上げられている。

また、事件当時は暴力団に所属していたものの、すでに組織を離れ、とび職として働いていた時期があったことも考慮された。

さらに、犯行後の反省についても検討された。

一審判決後、控訴審が続いた6年余りの間に、主犯格が人命の尊さや事件の重大性を再認識し、反省を深めていたことが評価された。

高裁は、長期にわたる無期懲役によって矯正と罪の償いを続けさせる余地があると判断した。

理由3:少年の集団犯罪という性質

高裁は、犯行時17歳から20歳だった6人が、集団内で互いに影響し合いながら行動していた点を改めて検討した。

主犯格が中心的な役割を担っていたことは否定していない。

しかし、殺人については、当初から綿密な計画を立て、周到な準備のもとで冷静に遂行した犯罪とは異なる性格があったと判断した。

つまり、高裁は次の事情を総合的に評価したのである。

- 犯行当時の精神的・社会的未成熟さ
- 集団内での相互作用や同調
- 強盗から殺人へ至るまでの経過
- 殺人が当初から確定的に計画されていたわけではないこと
- 主犯格の前科前歴や生活状況
- 控訴審までに深まった反省
- 矯正可能性の存在

もちろん、被害者2人が殺害された重大性や遺族の厳しい被害感情も、高裁は明確に認めている。

それでも、死刑という究極の刑罰を選択する必要があるかについて、個別事情を慎重に検討した結果、無期懲役が相当と判断した。

もう一人の被告人は懲役17年から13年へ

1996年の判決には、死刑から無期懲役への変更とは別に、もう一つ重要な判断がある。

一審で懲役17年だった被告人について、高裁は野村さん殺害の共謀に参加していたとは認められないと判断した。

この被告人は、野村さん殺害後に末松さん殺害と遺体遺棄の共謀に加わっていた。

つまり、末松さん殺害などに対する責任は認められたものの、野村さん殺害についてまで共謀共同正犯として責任を負わせることはできないと判断されたのである。

その結果、野村さん殺害に関する部分は無罪となり、刑罰は懲役17年から13年へ変更された。

この判断は、同じ事件に参加した共犯者であっても、具体的な関与の時期や内容によって刑事責任が異なることを示している。

1996年12月16日の名古屋高裁判決後、上告は行われず、変更された刑が確定した。

【少年法と少年犯罪の量刑】2026年現在から見る事件の意味

名古屋アベック殺人事件の判決を理解するには、当時の少年法と現在の少年法を区別する必要がある。

1988年当時の少年法51条

1988年当時、少年法における少年は20歳未満だった。

そのため、犯行時19歳だった主犯格も少年法の適用対象だった。

ただし、18歳未満と18歳以上では、死刑の扱いが異なっていた。

当時の少年法51条では、犯行時18歳未満の者について、死刑に相当する場合でも無期懲役を科すことになっていた。

これが、犯行時17歳だった被告人に対して無期懲役が言い渡された背景である。

一方、19歳だった主犯格には、この年齢制限による死刑の禁止は適用されなかった。

2022年の少年法改正と18・19歳の扱い

2022年4月1日には、改正少年法が施行された。

18歳と19歳は「特定少年」と位置付けられ、引き続き少年法の適用対象となっている。

ただし、17歳以下とは異なる特例が設けられた。

主な変更点は次のとおり。

- 18歳・19歳についても家庭裁判所で審判を受ける仕組みは維持される。
- 一定の重大犯罪について、原則として検察官送致(逆送)の対象が拡大された。
- 逆送後に起訴された場合、実名などの推知報道を禁止する規定が解除される。
- 17歳以下とは異なる刑事手続上の扱いが設けられている。

一方、犯行時18歳未満の者に死刑を科さないという少年法51条の基本的な規定は維持されている。

このように、少年法は更生を重視する基本理念を維持しながら、18歳・19歳の重大犯罪については、より重い刑事責任を問える制度へと変化している。

名古屋アベック殺人事件の判例から読み取れること

この事件の判例で重要なのは、少年犯罪だから一律に刑を軽くするという考え方ではない。

名古屋高裁は、犯行の重大性、殺人に至る経緯、被告人の年齢、集団内での役割、前科前歴、犯行後の反省、矯正可能性などを総合的に検討した。

また、共犯者の刑罰についても、単に同じグループに所属していたという理由だけで、全員に同じ責任を負わせることはしなかった。

個々の犯罪について共謀が成立した時期や実行行為への参加の有無を確認し、刑罰を決定したのである。

この点で、本件は少年犯罪の量刑だけでなく、共謀共同正犯の成立範囲や共犯者間の責任の個別化を考えるうえでも重要な裁判例となっている。

【よくある質問】名古屋アベック殺人事件に関するFAQ

Q1:名古屋アベック殺人事件はいつ、どこで発生した?

A1:1988年2月23日、名古屋市緑区の大高緑地公園で野村昭善さんと末松須弥代さんが襲撃された事件です。その後、2人は愛知県と三重県で相次いで殺害されました。

Q2:なぜ主犯格の死刑判決が無期懲役に変更された?

A2:1996年12月16日の名古屋高裁判決では、犯行の重大性を認めながらも、殺人に至るまでの経緯、少年の集団犯罪という性質、主犯格の前科前歴、犯行後の反省、矯正可能性などを総合的に評価しました。その結果、無期懲役によって長期にわたり罪を償わせる余地があると判断されました。

Q3:被告人6人全員が死刑または無期懲役になった?

A3:いいえ。一審では死刑1人、無期懲役1人、懲役17年1人、懲役13年1人、懲役5年以上10年以下の不定期刑2人でした。控訴審では死刑が無期懲役に、懲役17年が13年に変更されています。

まとめ:名古屋アベック殺人事件が司法に残した重要な論点

名古屋アベック殺人事件は、1988年2月23日に発生した強盗・殺人事件であり、野村昭善さんと末松須弥代さんという2人の若い命が奪われた。

1989年6月28日の名古屋地裁判決では、犯行時19歳だった主犯格に死刑が言い渡された。しかし、1996年12月16日の名古屋高裁判決では、少年の集団犯罪という性質や殺人に至る経緯、個人の矯正可能性などを踏まえ、無期懲役へと変更された。

この事件を理解するうえで押さえておきたい判断基準は、次の3点だ。

1. 犯行の計画性を区別すること。 強盗が計画的だったことと、殺人が当初から周到に計画されていたかどうかは別の問題である。
2. 共犯者の責任を個別に判断すること。 同じ事件に関与していても、共謀の成立時期や実行行為によって刑事責任は異なる。
3. 少年の量刑では更生可能性も検討すること。 犯行の重大性だけでなく、年齢、精神的成熟度、犯行後の状況なども判断材料になる。

2026年現在、事件の司法判断は1996年の名古屋高裁判決で確定している。

被害者と遺族が受けた被害の重大さを見失わず、同時に裁判所が何を根拠に刑罰を決定したのかを正確に理解すること。それが、この事件を少年法や刑事司法の問題として考えるための出発点となる。

主な参照資料: 名古屋高等裁判所平成元年(う)第262号・1996年12月16日判決、1989年6月28日付朝日新聞判決要旨、国立国会図書館所蔵の判例資料、法務省「少年法改正Q&A」、e-Gov法令検索「少年法」。